こんにちは!ようこそいらっしゃいました♡
★前書き★
こちらでは、群馬県の赤城伝説の一つである「赤城三姫物語」を紹介します。
この「赤城三姫物語」を知ることで赤城神社・伊香保神社・水沢寺の神社巡りを、よりいっそう楽しむことができます。
物語は今から約1600年前の古墳時代、日本が「倭」と呼ばれていた頃のお話しです。
朝鮮半島からの渡来人により、鉄器、須恵器の生産、機織り、金属工芸、土木技術など様々な技術や文化が伝えられ、万葉仮名の使用も始まった、そんな時代背景です。
赤城三姫物語は神道集の伝説
赤城三姫物語はフィクションですが、記録の存在する内容もあり、魅力的なキャラや地名の一致などから群馬県の伊勢崎市・前橋市・渋川市が、地域復興に力を入れているそうです。
「神道集」には「歴史・文学・思想史上重要な資料であり作品です」と記載されています。
神道集とは
『神道集』(しんとうしゅう)は、日本の中世の説話集・神道書。
安居院唱導教団の著作とされ、南北朝時代中期に成立したとされている。全10巻で50話を収録。
関東などの東国の神社の縁起を中心としつつ、本地垂迹説に基づいた(当著に、「神々は仏によって神になることができた」とする)神仏に関する説話がが載っている。「諏訪縁起事」は甲賀三郎伝説を伝えるものととして知られる。
この記事は参考文献や出典が全く指示されていないか、不十分です。ウィキペディアより引用神仏習合期に全国著名社の縁起を説いた説話集で、文和・延文年間(1352~61)頃に、京都の安居院で編纂されました。
全10巻、「平家物語」「曽我物語」と共通の詞句を多く持ち、歴史・文学・思想史上重要な資料であり作品です。
赤城神社伝説神道集より引用
このように、神道集自体が伝説であります。
しかし今日このようにして引き継がれ、いつの日か「事実と伝説」を明確にできることを期待し残されたものとして受け止め、伝承者の一人としてお伝えできたらと思います。
神道集にはその他、群馬県内の神社も紹介され、一之宮貫前神社の由来や、赤城神社が貫前神社に一之宮を譲り二之宮となったお話、三之宮伊香保神社の由来(巻第七36話「上野国一之宮事」)や、赤城三所明神、覚満淵の伝説などが載せられています。(巻第八43話「上野国赤城三所明神内覚満大菩薩事」)
赤城神社が群馬県のみならず、広く知られていたことや、当時の赤城大明神への信仰のほどが理解出来る内容が書かれています。
赤城三姫物語あらすじ
赤城三姫物語とは美しい3人の姫が悲劇の死や、その後の波乱に満ちた生涯の物語
参考文献【神道集巻第七40話「上野国勢多郡鎮守赤城大明神事」】
【物語の設定】
- 権力者の家柄である
- 美人3姉妹である
- 実母が他界する
- 継母とその子供がいる
- 妬みがある
- 無念の死を遂げる
- 仕返しをする
- 神が現れる、神になる
- 寺などの建立
と、このように初めからかなりぶっ飛んだ話信じがたい話になるのですがお付き合い頂けたら嬉しいです。
登場人物が語りながら進めて行きますのでよろしくお願いします。
実母が他界、継母の嫉妬
家成
名は高野辺大将家成。
時は5世紀前半。
履中天皇に仕える私は、無実の罪を着せられ上野國勢多郡深栖という山里に流されてしまった。
しかしそこで出会った女性と結ばれ4人の子供を儲け、幸せな暮らしを送っていた。
長男は成人後、高野辺中納言と言う名で都へ上がり士官を務めていた。
そんなある日、女房が38歳でこの世を去っってしまったのだ。
娘達は長女 渕名姫は11歳、次女 赤城姫は9歳、三女 伊香保姫は7歳となっていた。
悲しみに暮れているも、世間の習慣に従い再婚を余儀なくされ、信州の更科家から後妻を迎えることになった。
そして、その女房との間にも姫が生まれたのだが、その後、私の無実の罪が解け、上野国司に任命された。
皆を残し遠い任地での生活を余儀なくされてしまった。
娘3人にはそれぞれの乳母が付き、身の回りの世話をしてもらっていた。
女房とその娘も一緒に暮らしていた。
どこに行っても美しい三人の姫の話題に嫌気さし、自分の娘は三姫の美しさにには到底かなわず、日増しに妬みは強くなっていったんだよね。
そして、ここから悪夢が始まる。
継母は荒くれ者の弟、更科次郎兼光をそそのかし、主人のいない間に三姫を無き者にする計画を企てたのだ。
継母の嫉妬、人間道の毒の現れ
あなたのような田舎者の男とは一緒になれない、と嫌がっているのですよ。
こうして弟をそそのかし、姫達への憎しみを生み出した。
更科次郎兼光は、赤城山で7日間の巻狩に姫の貢献の大室太郎・淵名次郎を誘い出してあやめた。
乳母、淵名の女房、淵名姫も利根川の倍屋淵(ますがやふち)にてあやめてしまった。
渕名姫永眠(16歳)
しかし、赤城山に逃げ込んだ三人は遭難してしまった。
飲まず食わずの山の中で何日も過ぎ
「山の護法神、木々の神々よ、私たちの命をお召しください。」
赤城姫は必死に願い、そして乳母が力尽きた。
一人になってしまった姫は
「どうか早く私もお連れ下さい」
すると、赤城の沼の龍神(女神)が現れ
「この世は命はかなく夢、幻のようであります。
竜宮城という素晴らしい所に姫を案内します。」
と龍神と共に沼に沈んでいった。
そのため、河から西へは近寄れず、伊香保の姫君は無事だった。
伊香保姫は伊香保太夫の居城に保護された(12歳)
むごすぎる設定
「淵名姫は何処に、赤城姫はおられるか!
私を残し姫達は、どこにいったのか!
知らぬ山道に、赤城の姫君は迷い、獣の餌食になったかも知れぬ。
淵名姫はおらぬか、私だよ、昔の姿を見せておくれ。」
すると、空には紫雲が広がり、波の中から渕名姫が現れた。
「父上様、申し訳ございません。
わたくしはお継母さまから恨みを受け、淵の底に沈められてしまいました。
されど、亡くなられた母上様が、日に一度、天上界よりこの淵に降りて下さいます。
きっと父上様もお導きいたします。」
間もなく赤城山の上より紫雲が倍屋淵を覆った。
美しい音楽が奏でられると、多くの神や仏と共に雲の中に消えて行った。
「わが子よ、私も連れていってくれ」
と大将は倍屋淵に身を委ねてしまった。
すると再び紫雲が戻り、倍屋淵を覆い隠したんだ。
兄の復讐
事のあらましを聞いた兄君は、都から軍を連れて戻った。
そして兵に命じ、更科次郎兼光を捕えると倍屋淵に引き連れ、船より下ろしては挙げ七十五度も挙げ沈めし責めたてた。
命知らずの荒くれ者も、大声を挙げ、首を落とせと叫ぶ有り様。
兄君は「淵名の姫・淵名の女房もさぞ悲しき思いをした事だろう。更科よ、我を恨むこと無かれ。」
と首に石を付けて淵底に沈めた。
継母については
「いっときでも父が思いを寄せ、妹の姫もいることだから、無情なことも出来まい」
と信濃の国に追放した。
しかし、信濃の国の国司は、
「高野辺国司は不思議な事をする。父と姉妹の仇の命を助け、わが信濃の国へ追い払うとは理解できぬ。また、このような極悪人を養う親も鬼である。」
と継母の両親を成敗してしまった。
ところが、肝心の継母は娘と共に何処ともなく消えてしまい、その後、甥を頼って行ったようだが
「お前のため一門は破滅させられたのだ。」
と甥は編駄という物に母子二人を乗せ、更科の山奥の宇津尾山に連れて行き置き去りにした。
その夜、夕立が起こり、母子ともに雷に打たれ命を終えた。
この宇津尾山は、彼が伯母を捨てた事で、おばすてやま(伯母捨山)と呼ばれるようになった。
神になり現れる
次に赤城の沼に行き、赤城御前に会うために山に登った。
すると大沼の東岸、障子返しという山から、鴨が飛んできた。
その左右の翼の上には、煌びやかな御輿(みこし)があった。
淵名姫と赤城姫と赤城御前が一基の御輿に乗っていた。
後ろには、淵名の女房と大室の女房が、の左右には淵名次郎と大室太郎が械(とくさ)色の装束に透額の冠を着け、腰には太刀を帯び、轅を持って立っていた。
二人の姫君は兄君の袂に飛び込んだ。
「兄上様、私たちはこの山の神となって神通の徳を得ました。
のちに伊香保姫も神道の法を得て、現生の人々を導く身となります。
兄上様もまた、私たちと同じように神とお成りください。」
そこへ紫雲に乗った母御前が三人の子供たちのもとに降り立ち
「皆…嘆く事はありません。何事も前世からのさだめです。
今は、この世の人々の幸福を願いなさい。」
と言って天に上って行った。
「今は、私たち二人だけになってしまった。
私は都に戻るので、この国の国司職はそなたが行い、伊香保大夫を後身としてすべての政治を正し、この国を平和に治めなさい。」
伊香保大夫は「姫君のお世話は、十分にいたします。
妻の弟の高光中将殿(こうのみつる)を婿に取り、国司職は伊香保姫と共に行いましょう。」
こうして伊香保姫はしばらくの間、国司を務めたんだ。
時は流れ、二人の間には姫が生まれ、穏やかな日々で幸せな時だった。
伊香保姫は政を離れ、国司は大伴大将が務めていた。
ある日、小さな娘と湖の畔を歩いていた伊香保姫を見かけた大伴大将は、その美しさに心を奪われた。
どうにか伊香保姫を自分のものにしようとしたが上手く行かず、腹いせに軍を率いて伊香保姫の屋敷に攻め込んだ。
屋敷には火が放たれ、伊香保姫の夫の高光中将と伊香保大夫の息子と、何人もの人が犠牲になった。
大伴大将は捕われ、国司はまた伊香保姫が伊香保大夫の後見のもとに務めた。
伊香保大夫は亡くなった人を神社に祀り、寺を建てて中将を供養した。
ここから15年くらい空白期間となります。
美しく成長した伊香保姫の娘は都へ上がり、天皇にみそめられ妃となり皇子を生んだ。
時は流れ、悲しみと苦しみを仏に託し、中将の眠る寺は水沢寺と呼ばれた。
時折、伊香保姫の夢枕に神になった中将や伊香保大夫夫妻が現れた。
伊香保姫は自分も皆のそばに行こうと沼に身を委ねた。
その後、夫妻の娘2人も同じ世界へと後を追った。
終
赤城三姫物語が伝えたいこととは
歴史の中には争いや理不尽なことで命を終えてしまうことも多々ありました。
やりきれない思いをどうやって乗り越えたのでしょうか。
その上5~6世紀頃の仏舎は、悟りを開くためや供養の為、怨霊を抑える為などではなく、主君や親のために建てられました(後に先祖供養や諸々の祈願のための祈りの場となりました)
三人のお姫様の中でも生き残った伊香保姫の壮絶な人生。
時代が違えば何もかもが違っていたはずですが、こんなにひどい目に遇わされても
「この世の人の幸福を祈りなさい」
との母様のお言葉。
神になる修行だったようですが、どうか本当にフィクションであってほしいものです。
伊香保姫の千手観音菩薩がお祀りされている水沢寺は、伊香保神社からそう遠くない場所にありますので、伊香保温泉に行かれる際には是非お立ち寄りください。
「赤城三姫物語」を読んで下さりありがとうございました。
赤城神社や水沢寺などの参拝時の参考になれば幸いです。
実生mio
参考文献
神社のいろは 続
赤城神社
赤城神社伝説神道集巻第40
赤城神社Wikipedia
前橋コンベンション協会