群馬県中毛西毛地区

群馬県おすすめお花見スポット!桜の里【妙義神社】さくら舞う春から晩秋のもみじ狩り

こちらでは、群馬県富岡市の妙義神社をご紹介いたします。

妙義山は日本三大奇景の一つとされる山で、榛名山・赤城山とともに上毛三山の一つです。

また、妙義山は、白雲山・金洞山・金鶏山・相馬岳・御岳・丁須ノ頭・谷急山などを合わせた総称です。

 

妙義山は火山活動によるマグマが地表付近で急速に冷えて固まった安山岩で、その怪奇的で壮大な姿はとても神々しく人々は崇め仰ぎました。

御祭神のおひと柱【権大納言長親卿】がこの景観に感銘を受け「明魏」と名付けられたのが後に「妙義」と呼ばれるようになりました。

群馬県お花見スポット!妙義神社のしだれ桜

大規模な庭園や境内の建造物は江戸時代の趣を残し、四季に問わず魅了する庭園で、春のしだれ桜、秋の紅葉は群馬県の中でも大変人気があります。

訪問者を祓い清めるさくらの幣(ぬさ)…🌸彡

ああ、今年も来れて良かった!と思う瞬間です。

mio
mio
広大な境内では混み合う心配もありませんのでおすすめのスポットです。

富岡市桜の名所

富岡市紅葉の名所

しだれ桜の先には1773年建造の三間二間単層切妻造で重要文化財である総門が佇んでいます。

こちらの総門は「白雲山石塔寺」の仁王門だったものです。

総門の建つ石垣は1769年(明和6年)と刻銘されています。

こちらの画像は2023年の4月1日に撮影したものですが、桜の種類によっては散り始めているものもあります。

桜のお花見は微妙な時期ですね。

開花情報が頼りです。

妙義神社の基本情報

紅葉も素晴らしい妙義神社の境内です。

宣化天皇の二年御鎮祭

住所〒379-0201
富岡市妙義町妙義6
電話番号0274-73-2119
公式サイトhttps://www.myougi.jp
御祭神日本武尊(やまとたけるのみこと)
豊受大神(とようけのおおかみ)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
権大納言長親興(ごんだいなごんながちかきょう)
御利益開運厄除け・商売繫盛・学業児童・農耕桑蚕・火防・縁結び・心願成就
拝観時間9:00~17:00

妙義神社の神様

★日本武尊(やまとたけるのみこと)

今に伝えられている歴史年表では父君は第12代景行天皇、母君は藩磨稲日大太郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)で古墳時代の皇族です。

現在では日本武尊が主流になっていますが、そのお名前も途中でもらったもので本当は小碓命(おうすのみこと)と言い、双子の兄は大碓命(おおうすのみこと)と言います。

ヤマトタケルは双子だったのです。

ヤマトタケルと垂仁天皇の娘である両道入姫命(ふたじいりひめにみこと)との間に生まれたのが第14代仲哀天皇、更にその御子の応神天皇(八幡宮の神様で、誉田別命【ほんだわけのみこと】が孫にあたります。

【倭国平定の旅路】

そんな超VIPでお生まれになった皇子ヤマトタケルですが、兄上の大碓命を殺めてしまったため、御父上との間に確執ができてしまいました。

御父上の景行天皇はヤマトタケルを恐れ、天皇に服従しない豪族を討伐し国を平定するよう命令を下しました。

まさかその旅で勝利を収めて戻って来るとは思ってもみなかったのです。

これより旅路が始まります。

まず熊曾国(九州南部)で強い勢力を誇っていた熊曾建(クマソタケル)兄弟に勝利を収め、クマソタケルからその強さを称え「タケル」という名を献上されました。

大和朝廷の皇子だったことで「ヤマトタケル」と呼ばれるようになりました。

この頃は、最強の男=タケル

という名を持つらしく、次の遠征先の出雲での「イズモタケル」にも勝利を収め、西を征服したヤマトタケルは御父上の元に戻り報告します。

しかし景行天皇は日本武尊を恐れ、すぐさま東の平定へと向かわせたのでした。

【東国平定の旅路】

途中で伊勢の叔母君である倭姫命(やまとひめにみこと)の屋敷に立ち寄り、弟橘媛(おとたちばなのひめ)を娶りました。

愛し合う2人は離れがたく、新婚旅行とは行きませんが弟橘媛も東の遠征に同行します。

そして相模国(神奈川)ではあの有名な相模の国造(さがみのくにのみやつこ)との戦いでは、叔母君から渡された天の叢雲の剣で草を薙ぎ払い(後の草薙の剣)、叔母君から頂いた火打石で向かい火を放ち、燃え盛る炎から弟橘媛を守り生還した伝説が残っています。

その後、走水(神奈川)から房総半島に向かうにあたり、案内人の勧めで陸路より航路をいくことになりました。

しかし案内人は、海の神は女人を嫌うので弟橘媛には乗らないようにと無茶な話。

日本武尊は迷信だと言い、弟橘媛も一緒に船に乗られました。

しばらくすると穏やかな海は荒れ狂う海と化し、何隻もあった船がどんどん転覆していきます。

海の神のお怒りを鎮めるために弟橘媛は自ら海に身を投じました。

海はまた穏やかさを取り戻し、日本武尊は無事に房総半島へ到着しました。

この後、生き残った日本武尊御一行は甲斐国(山梨)⇒上野国(群馬)⇒三峰山(埼玉)⇒碓氷峠(長野)と東国を巡りました。

★豊受大神(とようけのおおかみ)
★菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
★権大納言長親興(ごんだいなごんながちかきょう)

妙義神社の境内は見どころ満載

総門をくぐると広く高く…とにかく何でも大きい!

硬い地質なだけに作りえたこの光景!

妙義神社の御神気の特徴は

★視野が広がり遠くまで物事を見据え、バランスがとれる!

こんな感じでしょうか♡

妙義神社のさくらともみじ

mio
mio
妙義神社の春と秋の風景写真を動画にしました。

稲荷神社・和歌三神社

手水舎・授与所

青銅の鳥居と灯籠

妙義神社には変わった灯籠がいくつもあります。

このような灯籠は、当時の情勢に影響力のあった大商人・老舗など多数の方々が奉納され名前も刻まれているそうです。

遥拝所(ようはいしょ)

銅鳥居の左側にひっそりと構える遥拝所。

この位置から本社を遥拝できるのです。

このようなお皿にお賽銭をし拝みます。

銅鳥居は装飾にもこだわったようです。

妙義神社の大杉

 

波己曽社

厳島社

男坂・女坂・隋神門

本社・唐門

水神社

影向石

旧宮様御殿