栃木県

鎌倉時代・足利義兼創建【上之宮神社】産業の発展の光り・佇む石灯籠

こんにちは!ようこそいらっしゃいました。

こちらの記事では栃木県足利市の【上之宮神社】についてご紹介いたします。

足利市は栃木県の南西部に位置し、地形の特徴から自然豊かな土地であるため人々が集まりその地形の特徴を活かした生活を営んで来ました。

また古くから「織物のまち」として知られ、鎌倉時代後期から渡良瀬川の舟運が整備されるにつれ、織物以外の産業や文化なども発展していきました。

上之宮神社に残された渡良瀬川舟運の石灯籠

神社名村社 上之宮神社
所在地栃木県足利市猿田町1-14
創建鎌倉時代 足利義兼(鎌倉時代前期の武将)
御祭神伊邪那岐命 伊邪那美命
明治に合祀)天照大神 木花開開姫命 猿田彦命
駐車場無料

建久7年(1196年)足利氏の2代目当主「足利義兼」が東大寺において出家し足利に退去後、頼朝に属し平氏を追討した功績により頼朝の知行国であった常総国(現在の千葉・東京・埼玉・茨城南西部)の国司に推挙されました。

そして邸宅の敷地内に持仏堂(仏像を安置する場所)を設け、これが「鑁阿寺」の始めとされています。

他にも「樺崎寺」や「稲荷山極楽寺」の建立の記述もあります。

義兼は「足利荘」を成立させ、猿田郷(荘園の内部の所領単位名)を設立した際にこちらの「上之宮神社」を建立したそうです。

その後足利荘は嫡子(男子の跡継ぎ)に譲ったとされています。

義兼以降の棟梁もまた寺社を建立し、仏師により仏像も作らせ、石碑や塔などがどんどん設置されていきました。

この大きな石灯籠がその頃のものかどうかは不明ですが、鎌倉時代から神社はここにあり、石灯籠はのちに渡良瀬川の舟運にとっての安全を図る大切な航路標識でした。

1466年に「長尾氏」が創建した「下之宮神社」を明治初年に合祀し、大正11年に改築しました。

鳥居や参道は比較的新しいようですが、社殿や末社はかなり古くなっていました。

社務所のような建物がありますが、ひとけは全くありません。

石柱に囲まれている「天照皇太神」

目の前は堤防で何も見えません。

風景が昔とは全く変わってしまっても、こうして何か一つだけでも残っていることで

歴史を辿り、想像し、今があることに感謝を感じることができます。

数少ない資料しか残っていない事柄が沢山ありますが、事実が消えないように守っていきたいと思います。