足利ストーリー7話|夏の星とふたつの出会い

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帰ってきたヤエ

出発してから半月、ヤエが帰ってきた。
河岸の向こうに見えたその姿は、前より少し瘦せていたが、どこかたくましくなって、輝いていた。

「ヤエ! お帰りなさい! 無事でよかった!」
キヌは駆け寄って、ぎゅっと手を握った。
「この半月、生きた心地がしなかったの。雨風が強い夜は、ヤエの舟が心配で河岸まで見に行ったり。」

「ただ今帰りました! 心配かけてごめんなさい……会いたかったよ、おキヌちゃん!」
ヤエはにっこり笑って、両手でキヌの手を包み込む。
その手には、旅のあいだの川風と潮の香りが残っていた。


二人は茶屋に入って、温かいお茶をすすりながら、ヤエが見てきたことを話した。

江戸で会った清吉のこと――
織機の工夫や、新しい模様の布の話をする時の生き生きとした様子。
そして、舟の上で出会った青い目の外国の先生のこと。
高い背にやわらかな声で、日本語も上手に話す人。
「別れるときに、この本をくれたの。最後のページを見てごらんって言われて」
ヤエは、かばんから分厚い本をそっと出して見せた。

夏の星とふたつの出会い

ひと月後、清吉が足利にやって来た。
江戸の「機師」の清吉は、足利に新しい技術を教えるために招かれた織機職人だった。
新しい織機をはじめ、流行りの織柄や図案を考え、織女たちに教える―
町の工房に通いながら清吉は織女たちにすんなりと溶け込んでいった。
清吉の糸を張る手は迷いなく、説明は分かりやすく、笑うと目が細くなる。
キヌは、そんな姿を遠くから見るだけで胸が温かくなるのを感じていた。


そのころヤエは、本の最後のページをもう一度開いていた。
そこには、舟で出会った足利学校の先生の名前と滞在先が書いてあった。
Hendrik van der Meijden
ヤエには読めない外国の文字、舟では「リックさん」と呼ばれていた。

――行ってみようかな。

そう思った瞬間から、胸の奥がそわそわする。
たんすを開けて、少しだけ迷って…
今日は薄藤色の小紋に決めた。帯は白地に小花柄、髪はまとめて銀のかんざしを一本。
鏡の中の自分は、ほんの少し背伸びをした町娘に見えた。


夕方、オレンジ色の陽が川面を照らす中、ヤエはその住所をたどって町外れの武家屋敷へ向かった。
門をくぐると、庭で背の高い影が天球儀を磨いていた。
紺色の羽織に控えめな縞の袴――和服なのに、やはり異国の香りがする。

「……ヤエさん?」
「はい!」
振り返ったヘンドリック先生の青い瞳に自分の姿が映った。

山の向こうに沈む夕焼けが群青色に変わり、一番星がちかちか光る。
遠い海の向こうの空と、この足利の空が、どこかでつながっているような気がした。

「足利の空は、江戸よりもずっと澄んでいます。夜になると、星が近く見えますよ」


その夜、二人は縁側に並んで座り、天球儀をくるくる回しながら夏の星座をたどった。

ヤエは空の話をする先生の横顔を見て、また来よう――そう思った。
その時間は、ゆっくりと胸に灯る明かりのようだった。