八木節に揺られて―
江戸時代の半ば。
春のやわらかな風が、田んぼや土のにおいを運んでくる。
古い荷馬車が、足利へ向かう道をゆっくりと進んでいた。
道の両側には、芽を出したばかりの桑の木や畑が広がり、遠くにはまだ雪が残る山が見える。
車輪がゴトゴトと音を立て、乾いた砂ぼこりがふわりと舞い上がった。
荷台には、三人の少女が座っている。
彼女たちは新潟の山あいからやって来た娘たち。
色あせた着物を着て、まだ子どもの面影を残している。
これから織物の町・足利で働くために集められたのだ。
その顔には、これから始まる新しい毎日への期待と、不安が混ざっていた。
少女たち
キヌ──農村で育ち、いつも家族を助けて働いていた。
けれど心のどこかで、「もっと広い世界を見たい」という思いを抱いていた。
ヤエ──町の商家の娘だったが、家を離れることになった。
家業を継ぐ夢はかなわなかったが、また新しい道を見つけようとしていた。
ハナ──好奇心いっぱいで学ぶことが大好き。
田舎を出て大きな町へ行くのが夢だった。
この旅は、彼女にとってその夢をかなえる一歩だった。
旅の途中
少女たちは、見知らぬ未来に胸をドキドキさせながら、しばらく黙って揺られていた。
すると、御者がふと声を上げた。
「♪ ハァ〜 足利 どんどん 渡良瀬川ぁ〜♪」
その場しのぎの歌だけれど、八木節の軽やかなリズムが空にひびきわたり、少女たちは思わず笑顔になった。
船頭・庄吉の朝
その頃、川の船着場では船頭の庄吉が出発の準備をしていた。
舟の前に立ち、胸の前で軽く手を合わせる。
「今日も無事に運べますように」
日々、川とともに暮らす庄吉にとって、そんな小さな祈りは当たり前の習慣だった。
少女たちは舟に乗り換え、川を渡っていく。
舟が動き出すと、川面がキラキラと光り、少し冷たい風が吹き抜けた。
不安な顔をしていた少女たちのひとりが、ぽつりと口ずさんだ。
「♪ ハァ〜 足利 どんどん 渡良瀬川ぁ〜♪」
それにつられて、他の娘たちも笑いながら声を合わせました。
八木節の調子が川に響き、舟の空気がふっと明るくなった。
宿場での夜
その夜、宿場に泊まった少女たちは、布団の中で未来の話をした。
「うまくやっていけるかな」
「いつか家族を楽にさせたいね」
庄吉はその声を聞きながら、若いころの自分を思い出した。
「俺も川を渡ってここまで来たんだ」
そう心の中でつぶやき、また明日も川に出る覚悟を新たにした。
流れるということ―
足利の舟運は、ただ荷物を運ぶだけではなく
夢や不安、そして希望までも川に乗せて運んでいた。
八木節のリズムとともに、人々の人生もまた流れていった。